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NHK連続テレビ小説 次回作「 とと姉ちゃん」!今回も史実あり。モチーフになった人物とは? [朝ドラ]

NHK連続テレビ小説の次回作「とと姉ちゃん」の
第1週試写会が、22日行われました。

ヒロイン役を務める女優の高畑充希(24)、父親役の
西島秀俊(44)、母親役の木村多江(45)らが出席しました。

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https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=1597...

今回の話も、実在の人物にスポットをあてて、その生き様を
綴っていますね。
そして、時代の中で強く生きる女性というのも、NHK
朝ドラの鉄板化になりそうですね。

モチーフになっているのが、生活情報誌「暮しの手帖」
の創業者:大橋鎭子さんです。

大橋さんの生涯を、全94作の連続テレビ小説として
描きます。

とと姉ちゃんキャスト相関図.jpg
http://drama-blog.net/archives/6200

11歳で父を亡くした主人公である小橋常子(高畑充希)
が、「とと姉ちゃん」として父の代わりに一家の屋台骨
となって母と二人の妹を支えてゆく、昭和の家族の奮闘記です。

そこで、実際のモチーフはどんな人か、そして実は
意外なところで、「あさが来た」との接点なども
あるので、まとめてみました。

【大橋鎭子とは】

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https://www.kurashi-no-techo.co.jp/company

大橋鎭子さんは、1920年(大正9年)に東京都麹町で日本製麻
勤務の父と女子美術大学出身の母のもとに生まれます。

父親の転勤で、1歳の時に北海道に転居します。
ところが、父親が結核になり東京に戻ることとなります。

大橋さんが、小学校5年生の時に父親は亡くなりますが、
父親がなくなるまでの5年間を、療養所を探し求めて各地を
歩き回り、父親の看病に明け暮れます。

父親が亡くなった時(昭和5年)には、当時11歳の大橋さん
が喪主を務めます。

実は、父親が亡くなる寸前、大橋さんに「鎭子は一番大きい
のだから、お母さん・妹たちの面倒を頼むよ」と言われた
そうです。
それから、以後彼女は家族の世話を一人で背負ってゆきます。

1937年に、東京府立第六高等女学校(現東京都立三田高等学校)
を卒業し、日本興業銀行(みずほ銀行の前身)に入行します。

しかし、学業という自分の夢を叶えるため、わずか3年で退職
し、日本女子大学に入学します。

ここが、「あさが来た」との接点ですね。
広岡浅子の働きかけのおかげで、成瀬仁蔵が創立した日本で
初の女子高等教育機関ですね。

ところが、入学してわずか1年で父親同様、肺結核を患い学業
を断念し、大学を中退します。

静養に専念し完治すると、創刊間もない日本読者新聞に入社します。

日本読者新聞の頃に戦争を経験しますが、戦争中も常に編集部に所属
します。

戦争末期、大橋さんは会社勤めの給料では、家族を養うことが出来ない
と感じ、企業を決意します。

ちょうど戦争が終わった頃にカット(挿絵)の仕事をしている
花森安治氏と出会います。

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http://b.hatena.ne.jp/entry/xn--vekw70ybyi.com/ooh...

花森氏は、小さい頃からアーティストとしての才能を持っていました。
東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業しています。

戦争中に、大政翼賛会の宣伝部に勤め、日本軍の戦争遂行にかかわりますが、
この戦争へ加担してしまったことをその後、自分の人生において悔いて
ゆきます。

戦争後、高校時代の親友である日本読者新聞の編集長大橋氏のもとで、
カットの手伝いをしていたところ、編集部にいた大橋さんを紹介されます。

ここで、大橋さんの女性を幸せにする雑誌を作りたいという願いと、花森氏
の戦争への反省から、戦争のない平和な世の中にしたいという思いが一致
して、衣装研究所(のちの暮らしの手帳社)を作り、大橋さんは社長となり
花森氏は編集長となります。

大橋さんの妹晴子さん・芳子さんも協力し、「スタイルブック」が
創刊されます。

この雑誌は、物がない時代でも女性たちに美で幸せになって欲しいという
願いから誕生しました。
後に(昭和28年)、現在の「暮らしの手帖」と名前が変更されます。

家庭婦人を対象として、ファッションや飲食物、大反響となった商品テスト
などの記事を載せ、また広告を一切載せないなど、編集作業を徹底的に
女性目線でこだわり、国民的雑誌になってゆきます。

1978年、花森氏が心筋梗塞により66歳で死去します。

大橋さんは、その後編集長も兼務し、2004年まで雑誌の仕事に自分の全て
を注ぎます。

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http://sutakorasacchan.com/post-1400/

そして、2013年に93歳という年齢で亡くなります。

大橋さんは、生涯女性のための雑誌作りに邁進し、独身を貫きました。

最後までお読み頂きありがとうございました。




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